書評

事実は小説より--誰しも語られるべき物語を一つは持っている

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

買ったきっかけ:
拾い読みして、速攻買い。

感想:
 アメリカのラジオのリスナーの投稿を集めたもの。全部、実話らしい。
 編者があのオースターなのである程度期待していたが、予想以上に面白かった。
 
 購入を決めたのは、以下の短い話を立ち読みしたから。

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 一九七五年、ユタ

 友人Dの話によると、ベトナム戦争が終結に近づいてきた頃、Dの幼い息子は戦争が終わった日にお祝いをしたいと言った。「どうやって?」とDは尋ねた。すると息子は言った。「パパの車のクラクションを鳴らすの」
 戦争が終わった時、アメリカ人はほとんど何もしなかった。パレードもなければ、楽隊の音楽もなく、大っぴらに喜びの念を表す者はごくわずかだった。例外はソルトレークシティ郊外でのことで、九歳の少年は許可をもらって父親の車のクラクションを鳴らし続けた--とうとうバッテリーが上がってしまうまで。
スティーブ・ヘイル
ユタ州ソルトレークシティ
(366P)
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 次はちょっと長いが、一番印象的だった話。

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 ファミリー・クリスマス


 (これは父から聞いた話だ。一九二〇年代前半、私が生まれる前にシアトルであった出来事である。父は男六人、女一人の七人きょうだいの一番上で、きょうだいのうち何人かはすでに家を出ていた。)

 家計は深刻な打撃を受けていた。父親の商売は破綻し、求職はほとんどゼロ、国中が不況だった。その年のクリスマス、わが家にツリーはあったがプレゼントはなかった。そんな余裕はとうていなかったのだ。クリスマスイブの晩、私たちはみんな落ち込んだ気分で寝床に入った。
 信じられないことに、クリスマスの朝に起きてみると、ツリーの下にはプレゼントの山が積まれていた。朝ごはんのあいだ、私たちは何とか自分を抑えようとしつつ、記録的なスピードで食事を終えた。
 それから、浮かれ騒ぎがはじまった。まず母が行った。期待に目を輝かせて取り囲む私たちの前で包みを開けると、それは何か月か前に母が「なくした」古いショールだった。父は柄の壊れた古い斧をもらった。妹には前に履いていた古いスリッパ、弟の一人にはつぎの当たった皺くちゃのズボン。私には帽子だった--十一月に食堂に忘れてきたと思っていた帽子だった。
 そうした古い、捨てられた品一つひとつが、私たちにはまったくの驚きだった。そのうち、みんながあんまりゲラゲラ笑うものだから、次の包みの紐をほどくこともろくにできない有様だった。でも、いったいどこから来たのか、これらの気前よき贈り物は? それは弟のモリスの仕業だった。何か月ものあいだ、なくなっても騒がれそうにない品をモリスはこつこつ隠していたのだ。そしてクリスマスイブに、みんなが寝てからプレゼントをこっそり包んで、ツリーの下に置いたのである。
 この年のクリスマスを、わが家の最良のクリスマスのひとつとして私は記憶している。
ドン・グレーヴズ
アラスカ州アンカレッジ
(91P)
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 オースター曰く
「誰かがこの本を最初から最後まで読んで、一度も涙を流さず一度も声を上げて笑わないという事態は創造しがたい」

 ここには生身のアメリカ人が息づいている。下手な小説家が尻尾を巻いて逃げ出すようなリアリティーがある。
 少々高いが、再読、再々読してしまう魅力を考えれば、値段分の価値は十分にある。

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

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サブプライム危機の必然性--異常ではない「異常値」が市場を支配するワケ

投資の科学 あなたが知らないマーケットの不思議な振る舞い

買ったきっかけ:
 「現実の世界は平均値でなく異常値に支配されている」という帯の惹句に誘われた。売らんかなの帯が目立つ昨今、珍しくうたい文句通りの内容。

感想:
 プロ、アマを問わず、主体的に資産運用にかかわるすべての人にとって一読の価値のある良書。ただし、コンベンショナルなファイナンス理論の大枠を理解しているという前提で。

 話題のサブプライムとの絡みを先に書くと。
 巷間「ファイブシグマにやられた」だのどうだのと言った言い訳が聞かれるが、ブラックマンデー(20シグマ相当!!)やLTCM危機、本邦でいえば03年の国債バブルと同様の、「千年、万年、億年に一度の異常値で損を出したのはしょうがない」という逃げ口上は聞き飽きた感がある。
 「理論的にありえない変動」による金融危機はなぜ繰り返されるのか。

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 標準的なファイナンス理論の多くは、株価の変動はベルカーブとして知られる正規分布曲線に従うと仮定している。(中略)しかし、正規分布をベースとしたファイナンス理論は、みかけはエレガントであっても、現実の世界をうまく説明できないという問題を抱えている。とりわけ「ファットテール」と呼ばれる、まれに生じる非常に大きな価格変動を説明するときには役に立たない。実際、リスクマネジメント理論がファットテールをとらえられなかったことが、いくつかの悲劇を招いた。(173P)
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 こうした指摘自体は珍しいものではない。
 本書と類書の違いは、データと理論を、一般読者にも分かるように噛み砕いて(ここ重要)解説していること。
 第二部の「投資の心理学」の、なぜバブルが発生するかという解説も腑に落ちるもの。95ページの「働きアリの旋回運動」の図だけでも、クレジットバブルに突っ走った滑稽なマネーの奔流を描写して余りある。

 文章も読みやすい。断言すべきところ、あるいは断言できる部分については、はっきり断言している点がすばらしい。日本の経済学者の本にありがちな留保条件を大量につけた奥歯にモノの挟まったような記述がなく、読んでいて気持ちいい。装丁もきれいだし、ソフトカバーなので読みやすい。

 以下のパラグラフは本書の内容ではなく、私見。
 サブプライムに限らず、ファイナンス理論が発達して以降の多くのバブルの発生と崩壊の根っこには、理論の本質的な欠陥と受託者責任という名の無責任がある。
 本書でも紹介されているが、実際の価格変動の分布は、ベルカーブとずれている。具体的には、小さな変動と、きわめて大きい変動が、理論値対比でより高い頻度で現れる。
 つまり、相場は「小動き」が基本で、たまに「大暴落(大暴騰は少ないのは経験的に分かる)」が起きる。
 これをオプション取引の視点でみれば、普段はボラティリティを売ることが儲けの近道となる。そしてそのいつもは儲かるポジションは、理論値より高い確率で起きる大暴落ですってんてんになるリスキーな代物でもある。
 サブプライム問題に引き直せば、「歴史的な低デフォルト率」がクレジットバブルはまだ続くという確率的な根拠をあたえ、レバレッジをかけてクレジットをロングするだけの安易なポジションが、受託者責任を全うした真っ当な運用手法としてまかり通る。
 ヒトのふんどしで相撲をとっているのだから、カネが集まるもっともらしい理由がつき、穴が空いたときに法的責任を問われない理屈が立てば、それでよし。ヘッジファンドのマネジャーなら、内心変だと思っていても、バブルの尻尾に乗り遅れなければ、成功報酬にありつける。
 で、間に合わず、あぼーん。
 横並びのVaRが03年の債券バブルと崩壊を招いたのも、まったく同様の構図。ITバブルもしかり。
 世界中のファンドマネジャーが、一見高度にみえるが穴だらけの現行のファイナンス理論に基づく受託者責任という免罪符に頼るかぎり、いつかバブルは再び繰り返されるだろう。

 本書に戻る。
 バブルの発生やファイナンス理論の危うさに重点を置いたが、それ以外にも読みどころは多い。
 回転売買は「どれだけ」損か(第7章)
 企業の成長力の源泉と寿命(第3部)
 投資と複雑系理論の関係(第4部)
 特に第4部の価格変動分布はフラクタルなシステムで「べき乗」法則に従うという理論は、恥ずかしながら初耳で、非常に興味深かった。

 最後に、68ページの印象的な部分を引いておこう。伝説のギャンブラー、プギー・ピアソンの言葉とか。
 「ギャンブルで大事なことは3つしかない。60対40の法則、資金のマネジメント、そして自分を知ることだ。そんなこと、どんな馬鹿でも知っているよ」

 自分のカネを賭けて勝ち続けた中卒のギャンブラーと、複雑怪奇なアービトラージストラテジーを振り回す博士号持ちのクオンツ系マネジャー。
 あなたなら、どちらを信じます?

投資の科学 あなたが知らないマーケットの不思議な振る舞い

著者:マイケル・J・モーブッシン

投資の科学 あなたが知らないマーケットの不思議な振る舞い

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将棋に「解」はあるのか--もう一つの知的ゲーム

ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21 C 136)

買ったきっかけ:
これは、見た瞬間、買いでしょ。
企画の勝利。売れるのが約束された本。

感想:
 理詰めで「将棋には(最適)解がある。コンピューターは人間を超える」と説く保木氏。
 トッププロとして、「どんな状況でもコンピューターに勝ち続けるつもりだ」と断言する渡辺氏。
 主張の対立による気持ちの良い緊張感と、特に渡辺氏の真摯な筆が、本書を出色の読み物にしている。
 コンピューター(あるいは人間)の長所、短所を描写する渡辺氏の筆致の的確さは大変立派なもの。頭の良い人だ。

 たとえば147P。

 将棋界では「負けてもこうやる一手」という言葉がある。これは少し苦しめの局面で「悔しいので負けてもこうやる一手」と、感情的に指してしまうことであるが、たいていの場合「負けても」の一手はいい手ではないことが多い。本当は悔しくてもそういうときに辛抱しなければいけないのだ。
 自分も調子がいいときは、「負けてもこうやるべき」という思いを抑えて、粘りの手を指している。悔しくとも辛抱していればいつかはチャンスが来る。
 「負けてもこうやる一手」はたいてい「負けを早める一手」になる。人間の感情は必ずしも勝負にプラスに働くとは限らない。
 コンピューターはその点では感情がないので人間より優れている。

 的確かつ示唆に富む分析、と思いません?

 近い将来、チェスで起きたように、人間とコンピューターの力の逆転は起きるのだろうか。
 本書は結論めいたものは提供していないが、個人的にはやはり、渡辺氏の以下の主張を支持したい。

 おそらく羽生さんなどは人類が到達しうる限界点に近い強さの将棋を指している。
 そんな羽生さんでも間違えることはあるから、「人間は完全」とはいいがたいのだが、羽生さんに近い実力を持つ人が他に何人もいて、そうした人たちが切磋琢磨しているのにコンピューターがそれらの人たちをすべて超えるというのはとても想像ができない。(162P)

 がんばれ、人間。

ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21 C 136)

著者:保木 邦仁,渡辺 明

ボナンザVS勝負脳―最強将棋ソフトは人間を超えるか (角川oneテーマ21 C 136)

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